NHKの大相撲解説でおなじみの北の富士さん。
辛口コメントがとても痛快です。
中日スポーツでの自伝連載「はやわざ御免」もファンの間で人気を博しています。
第52代横綱・北の富士の年収は、果たしていくらなのでしょうか?
横綱時代から親方時代、そして現在の年収を調査しました!
第52代横綱!北の富士のプロフィール
出典:https://www.chunichi.co.jp/article/546887
- 名前:北の富士 勝昭(きたのふじ かつあき)
- 本名:竹澤 勝昭(たけざわ かつあき)
- 生年月日:1942年3月28日
- 出身:北海道旭川市(出生は網走郡美幌町)
- 伸張:185cm
- 優勝:幕内最高優勝10回
- 引退:32才
次男として北海道で生まれた北の富士。
少年期に父が事業に失敗し、経済的にはかなり苦労していたそうです。
なんと三回もの夜逃げを経験。
波乱万丈の人生です……。
元は野球少年だったそうですが、横綱・千代の山から直々に誘われ、相撲に興味を持つようになります。
中学卒業と同時に他の全てのスポーツの勧誘を断って出羽海部屋へ入門し、力士としてのキャリアを歩み出します。
当時の名前は「竹沢」でした。
ただ、185cmという高身長にも関わらず体重が増えないことで悩んでいたようで、出世は遅れてしまいます。
当時制定されていた「30場所で幕下へ昇進できなければ廃業」の規約をもう少しで適用され、力士を辞める間際のところまで追いつめられていました。
相撲のスタイルもひたすら前に進むだけという愚直なもの。
ついたあだ名は「香車」「ヤリイカ」でした。
横綱にのし上がるまでの潜在能力を秘めていたとは言え、若い頃はかなり苦労していたんですね……。
出典:https://www.chunichi.co.jp/article/15048
1960年に親方の出羽海が死去し、新しい親方・武蔵川親方のもとで学び始めたことで、彼の才能は開花します。
四股名もこの頃に「北の富士」へと改名します。
1964年で新入幕を果たし、13勝2敗という新入幕力士最多勝の新記録を樹立します。
華々しい新入幕を飾ったのはいいものの、北の富士をすぐに不運が見舞います。
1965年、女性ファンからプレゼントされた拳銃を親方に預けていたことが発覚し、書類送検されてしまうのです。
角界拳銃密輸事件としてメディアを騒がせますが、幸いなことに日本相撲協会からの処分はありませんでした。
どうやら北の富士は拳銃を見てすっかり怯えてしまったようです。
あまりにロックすぎるプレゼントにわたわたする北の富士を想像すると、少し微笑ましいものがありますね。
当時の北の富士はあまり稽古が好きではなかったようで、時には相撲そっちのけで遊び放題だったとの噂があります。
本人もそれを自覚していたようで、サインを求められた時には決して「努力」と書かなかったというエピソードがあります。
土俵の上の大スターへ!横綱時代の年収
相撲嫌いの北の富士ですが、1969年に転機が訪れます。
恩人とも言える村上精一郎が脳軟化症で余命宣告されるのです。
なんとしても横綱に上がって恩返しをしたい彼は、猛烈に稽古に打ち込むようになります。
北の富士は破竹の勢いで地位を上げ、1970年1月に横綱へ昇進します。
素早さが持ち味の取り組みは「スピード相撲」と称され、得意技は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ、外掛けなどでした。
出典:https://sumo-rikishi.com/?page_id=3886
同時に横綱に昇進した玉の海は最大のライバルであり、二人の対決はTVの花形でした。
「北玉時代」の到来です。
プライベートでは「島ちゃん」「北さん」と呼び合うほどの親友だったようで、新横綱のしきたりで一芸披露する際には、二人でギターと歌唱を行ったそうです。
土俵の中ではライバル、外では親友だなんて、まるでバトル漫画のように熱いですね。
大人気になるのも納得です。
横綱は当時の日本では空前の大スター。
どのメディアでも引っ張りだこでした。
この頃の北の富士の年収は、どれくらいなのでしょう?
相撲界では、十両以上の力士になると月給がもらえます。
完全なピラミッド型の構造で、相撲だけで食べていける力士は全体の中のほんの一握りです。
その厳しさゆえ、頂点である横綱の年収は莫大なものになります。
出典:https://www.nikkansports.com/battle/sumo/photonews/photonews_nsInc_202301260000035-2.html
最高レベルの力士である横綱は月給282万円!
年収すると約3400万円です。
この給料に報奨金や優勝賞金、他の色々な手当が加わるので、合計で4500~5000万円ほどになると言われています。
日本人の平均年収が400万円ほどなので、かなりの高年収だとわかりますね。
しかも北の富士は現役当時からキャバレーやちゃんこのお店を経営するなど、「相撲は内職だろう」と他の力士にからかわれるほど副業に励んでいました。
横綱昇進後は副業を控えるようになりますが、副業収入が0になったわけではありません。
渋い声を活かして発売したレコード「ネオン無常/チャンコ花唄」は50万枚を売り上げています。
力士と歌手と経営者の三足の草鞋だなんて、かなり多才な方ですね。
出典:https://www.jiji.com/news/handmade/topic/d4_as/kfj328-jpp01021563.jpg
現在は横綱の副業は禁止されていますから、おおらかな昭和ならではの横綱スタイルであると言えます。
力士としてだけでなく様々な副業からも収入を得ていますから、現役時代には5000万以上は稼いでいたと予想できます。
当時の北の富士は、その甘いマスクと業績から多くの女性と浮名を流し、「夜の帝王」や「プレイボーイ横綱」という愛称をほしいままにしたそうです。
若い頃の写真を見ると爽やかで長身なイケメンですから、女性にモテるのも全く不思議ではありません。
指導者として復活!引退後の年収
北の富士の黄金期と呼べる「北玉時代」は、残念ながら長くは続きませんでした。
「北玉」の「玉」、玉の海が右肺動脈幹血栓症による急性冠症候群で1971年に急逝してしまうのです。
あまりに若すぎる死に北の富士は嘆き悲しみ、巡業先では人目をはばからず号泣したそうです。
法要の席にも駆け付け、喪に服しました。
この後、北の富士は不調が続きます。
暴力団と共に警察署へ挨拶に行ったことが報道され協会から厳重戒告処分を受けるなど、土俵外のトラブルのほか、大会でも連敗を記録。
不眠症で苦しみ、途中休場するほどの体調不良となります。
なんとか復活を図りますが、1974年に右ひざを痛め体力の限界を迎えて相撲を引退。
横綱としての年月はたった4年のでした。
断髪式後に白のタキシード姿で登場し、メディアを沸かせたそうです。
なんとも粋な方ですね。
引退は悔やまれますが、気になる退職金はどれくらいだったのでしょう。
横綱は引退時に、1億円前後の功労金と1500万円の養老金が支払われます。
引退後は江戸川区で井筒部屋(現在の部屋と別系統)を興しますが、現役時の浪費癖がたたって貯金はほとんどなく、資金繰りにかなり苦労したようです。
ちゃんこ鍋のお金すらなく、自分で魚を釣って天ぷらを振舞います。
親方を始めたての貧乏ぶりはプレハブを建てて力士と枕を並べて寝るほどで、かなり火の車だったようですね。
懸賞金は飲んで使ってしまったと語る彼ですから、現役時代の遊びっぷりが想像できます。
とはいえ2年もすると部屋の経営も軌道に乗り始めます。
北の富士はこの部屋で、第58代横綱・千代の富士を育て上げます。
千代の富士は北の富士の指導について、自伝『負けてたまるか』で下記のように書いています。
親方はあまりガミガミ言わないが、ここぞというとこにチクッと何か言って、こっちの気持ちをくすぐったり、反発心を起こさせる。やる気を起こさせるコツをよく知っているのだ。後は見て見ないふりをする
1987年には北勝海を第61代横綱へ、孝乃富士・巴富士を小結まで押し上げており、指導者としても優秀な力士だったんですね。
親方時代の年収はどれくらいだったのでしょう。
親方の年収は1000万円程度と言われていますから、現役時よりは低いものの高年収を保っています。
相撲協会からも500万円程度の年収があり、引退後の年収は約1500万円と予想できます。
引退してなお、北の富士の年収は平均的なサラリーマンの3倍です。
辛口コメンテーターへ転身!現在の年収
現在、北の富士は相撲協会を引退し、相撲部屋も後継者に移譲しています。
ちゃんこ鍋などの飲食店も閉業していますから、仕事の場はNHKの解説と新聞連載のみとなります。
主な収入源はNHKからのギャラ約2500万円で、十分に暮らしていける高収入です。
テレビでは辛口解説者として親しまれていますが本人には自覚がなく、朝乃山に「これからも辛口解説でいてほしいです」とお願いされた際には、「辛いとは思いませんよ」と否定しています。
さすが元横綱、勝負の世界にはかなり厳しいですね。
相撲の解説ではその涼し気な着物姿が大人気で、着物を着ないとファンから「今日は着物じゃないんですか」と訊かれるそう。
出典:https://www.news-postseven.com/archives/20171010_617846.html?DETAIL
存命中の元横綱では最年長の北の富士の好物はステーキで、70歳を過ぎても300gをペロリと平らげます。
自身のコラム「はやわざ御免」でもステーキの話題が頻繁に出てくるほどのお肉好きで、まだまだ心身ともに元気もりもりです。
「俺はそんなに強い横綱ではなかったから、ひそかにナンバーワンになりたい」と、最長寿の元横綱を狙っているそうです。
父親も101才まで生きた長寿ですから、北の富士もその遺伝子を持っていそうですね。
まとめ
いかがでしたか?
元横綱で現在NHK相撲解説者の北の富士さん。
波乱万丈の人生と遊び人だった現役時代、貧乏暮らしの親方時代、辛口コメンテーターとしての現在の年収を解説しました。
北の富士の年収 | |
横綱時の年収 | 5000万円以上 |
横綱退職金 | 1億円 |
現在の年収 | 2500万円 |
一般のサラリーマンと比較してもかなり高額な年収であることがわかりました。
悠々自適に老後を過ごす北の富士。
テレビで見せるチャーミングな笑顔が、彼の満ち足りた生活を物語っています。
まだまだ彼の相撲人生は続きます。
末永く解説を続け、相撲業界を支えてほしいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました!
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