本田圭佑といえば、日本が誇るサッカー界のスター選手の一人です。
国を代表して活躍する一方で、様々な国のチームでプレーしてきました。
2021年の終わりにリトアニアのチームを去り、翌年に膝を治療。
2023年の暮れに選手生活を続けると発表し、注目を集めました。
今回は、本田選手の収入について調べてみました。
日本のプロリーグを皮切りに、海外の様々な国でプレーした彼の給料がどのように変化したかを見ていきましょう。
本田圭佑の年俸・年収は?
本田選手がプロの世界に足を踏み入れたのは、高校を卒業してすぐの18歳の時でした。
その若さで、驚くべきことに450万円という大きな金額で契約しました。
翌年には早くも1,000万円に跳ね上がり、それ以降も給料は順調に増え続けていったのです。
年度 | 年俸 | 所属クラブ |
---|---|---|
2004 | 450万円 | 名古屋グランパス |
2005 | 1,000万円 | 名古屋グランパス |
2006 | 1,800万円 | 名古屋グランパス |
2007 | 6,500万円 | VVVフェンロ― |
2008 | 6,500万円 | VVVフェンロ― |
2009 | 6,500万円 | VVVフェンロ― |
2010 | 3億円 | CSKモスクワ |
2011 | 3億円 | CSKモスクワ |
2012 | 3億円 | CSKモスクワ |
2013 | 3億4,000万円 | ACミラン |
2014 | 5億1,000万円 | ACミラン |
2015 | 4億5,000万円 | ACミラン |
2016 | 5億4,000万円 | ACミラン |
2017 | 4億2,000万円 | パチューカ |
2018 | 3億5,000万円 | メルボルン・ビクトリー |
2019 | 4,000万円 | フィテッセ |
2020 | 500万円 | ポタフィゴ |
2021 | 不明 | ネフチ・バグー |
2022 | 不明 | スードゥヴァ・マリヤンポレ |
本田選手は2008年からオランダのチームでプレーを始めました。
その後、2010年にロシアの強豪チームに移り、活躍しました。
2014年には、イタリアの有名チームに加わりました。そして2017年にメキシコのチーム、2018年にはオーストラリアのチームでプレーしました。
2019年に再びオランダに戻り、2020年には南米のブラジルのチームに入りました。
2021年には東ヨーロッパの2つの国のチームでプレーしました。
このように、本田選手は世界中の様々なチームでサッカーを続けてきたのです。
本田圭佑の各クラブ年俸・年収推移と過去の契約について
名古屋グランパス時代
本田選手は高校を卒業後、日本のプロリーグで名古屋のチームに加わりました。
ただし、契約には「他国のチームから声がかかれば、移ることを認める」という項目が含まれていました。
以下は名古屋グランパス時代の年俸推移です。
年度 | 年俸 | 所属クラブ |
---|---|---|
2004 | 450万円 | 名古屋グランパス |
2005 | 1,000万円 | 名古屋グランパス |
2006 | 1,800万円 | 名古屋グランパス |
このことから、本田選手は10代の頃から外国でプレーすることを視野に入れていたと考えられます。
名古屋のチームに入ってからは、すぐに試合に出られる選手となり、チームにとって欠かせない存在として活躍していました。
VVVフェンロ―時代
次VVVフェンロー時代の本田選手の年俸推移です。
年度 | 年俸 | 所属クラブ |
---|---|---|
2007 | 6,500万円 | VVVフェンロ― |
2008 | 6,500万円 | VVVフェンロ― |
2009 | 6,500万円 | VVVフェンロ― |
本田圭佑選手は海外に移籍した後は、年俸が大幅アップ、6,500万円とアップしています。
本田選手は、シーズンの途中でオランダのチームに加わりました。チームは彼がすぐに力を発揮できると期待していたようです。
しかし、最初は思うように結果を出せず、14回の試合で2回しか得点できませんでした。その結果、チームは下のリーグに落ちてしまいました。
それでも本田選手はチームに残ることを選び、次のシーズンで大活躍しました。37回の試合で16回得点し、14回のアシストもしました。
CSKモスクワ時代
本田選手はロシアの有名チームに移りました。そこで3年間、毎年3億円という給料をもらっていたそうです。
年度 | 年俸 | 所属クラブ |
---|---|---|
2010 | 3億円 | CSKモスクワ |
2011 | 3億円 | CSKモスクワ |
2012 | 3億円 | CSKモスクワ |
前のチームと比べると、かなり高い金額になっていて、さすが欧州の強豪チームだなと感じさせます。
チームに入ってすぐに主力選手として活躍し、1年目から33回の試合に出て、5回得点し、6回アシストしました。
この活躍が認められ、その週のベストメンバーにも選ばれたのです。2年目は、チームの事情で普段と違う位置でプレーしました。
慣れない役割でしたが、うまくこなして39回の試合で9回得点し、12回アシストしました。
3年目は最初好調だったのに、膝を痛めて長い間試合に出られなくなりました。
その後復帰しましたが、思うようにプレーできず、2013年の冬にチームを去ることになりました。
ACミラン時代
ACミラン時代はファンだけでなく多くの人が本田選手の活躍を知った時代ではないでしょうか。
年度 | 年俸 | 所属クラブ |
---|---|---|
2013 | 3億4,000万円 | ACミラン |
2014 | 5億1,000万円 | ACミラン |
2015 | 4億5,000万円 | ACミラン |
2016 | 4億4,000万円 | ACミラン |
本田選手は2013年の終わりに、イタリアの有名チームACミランに加わることが決まりました。
この時の年俸は、は4年間で毎年3億円以上もらっていたそうです。1年目は10回の試合に出て、2回得点し、2回アシストしました。
これはまずまずの成績で、良いスタートを切ったと言えます。2年目は、シーズン開始からすぐに得点を重ね、とても良い成績を残しました。
その後も得点やアシストを続け、30回の試合で6回得点し、5回アシストしました。
3年目は、後半から主力選手として活躍し、37回の試合で2回得点し、8回アシストしました。
しかし、次の年には別の選手に自分の位置を奪われてしまい、試合に出る機会が大きく減ってしまいました。
そのため、シーズンが終わるとチームを去ることになりました。
パチューカ時代
年度 | 年俸 | 所属クラブ |
---|---|---|
2017 | 4億2,000万円 | パチューカ |
本田選手は2017年にメキシコのチームに移りました。給料は4億2000万円で、前のチームと同じくらいの金額をもらっていました。
本田選手は、世界の強豪チームが集まる大会に出たいという気持ちで、このチームを選んだようです。
その願いは叶い、その大会に出場できました。チームの試合では36回出場し、13回得点し、8回アシストもしました。とても活躍したと言えるでしょう。
メルボルン・ビクトリー時代
本田選手は2018年、オーストラリアの有名チームに加わりました。
年度 | 年俸 | 所属クラブ |
---|---|---|
2018 | 3億5,000万円 | メルボルン・ビクトリー |
そこで3億5000万円という高い給料をもらっていたそうです。オーストラリアのサッカーリーグには、選手の給料に上限があります。
各チームに1人だけ、その制限を受けない特別な選手を置くことができます。
チームでの活躍も目覚ましく、24回の試合に出て、8回得点し、7回アシストしました。チームにとって欠かせない選手だったことがわかります。
フィテッセ時代
本田選手は、昔の指導者が強く望んだため、新しいチームに加わりました。
年度 | 年俸 | 所属クラブ |
---|---|---|
2019 | 3億3,000万円 | フィテッセ |
給料は1年で3億3000万円という高い金額でした。
チームは本田選手に大きな活躍を期待していましたが、試合で負け続けてしまい、指導者が辞めることになりました。
ボタフォゴ時代
年度 | 年俸 | 所属クラブ |
---|---|---|
2020 | 1億6,000万円 | ポタフィゴ |
本田選手は南米の有名チームに加わり、1億6000万円という高い給料をもらっていました。
しかし、27回の試合に出場したものの、得点は1回だけでした。
チームの成績も振るわず、最下位まで落ちてしまいました。そのため、本田選手は責任を感じ、自らチームを去ることにしたようです。
ネフチ・バクー時代
年度 | 年俸 | 所属クラブ |
---|---|---|
2021 | 不明 | ネフチ・バグー |
本田選手がアゼルバイジャンのチームで受け取っていた給料は正確にはわかっていません。
ただ、調査によると3か月で1000万円ほどだったようです。これを1年に換算すると、おおよそ4000万円になると考えられます。
本田選手は、お金よりもサッカーをすることを重視してこのチームを選んだのかもしれません。
契約期間は短く、シーズン終了までだったそうです。
そのため、次はどのチームでプレーするのか、多くのファンが注目していたことでしょう。
スードゥヴァ・マリヤンポレ時代
年度 | 年俸 | 所属クラブ |
---|---|---|
2022 | 不明 | スードゥヴァ・マリヤンポレ |
スードゥヴァ・マリヤンポレでの本田選手の給料は明らかにされていません。しかし、本田選手自身がその時の収入について、こんな風に話しています。
「日々の生活に困らない程度のお金はもらっています。だから、このチームに来るかどうか迷うことはありませんでした。ただ、みなさんが想像しているよりも、かなり低い金額かもしれません」
引用:ズバリ年俸は?リトアニア移籍の本田圭佑が答える「生活していけるお金。皆さんが思っている以上に…」 | サカノワ (sakanowa.jp)
この言葉から、給料はそれほど高くなかったことがうかがえます。
リトアニアのサッカーリーグの規模を考えると、おそらく以前の大きなチームと比べてかなり少ない金額だったのでしょう。
本田圭佑のYoutube収益・実業家としての年収
本田選手は自身のYouTubeチャンネル「Keisuke Honda / 本田圭佑」を運営しています。
このチャンネルからの年間収入は約224万6,000円と推定されています。
この収入は以下のように算出されています:
- 年間視聴回数:1,123万回
- 1視聴あたりの広告収入:0.2円
0.2円 × 1,123万回 = 224万6,000円
この収入は、本田選手の総収入の中では比較的小さな部分を占めていますが、引退後のキャリアの一部として、ファンとの交流やブランディングに役立っていると考えられます。
実業家としての年収
本田選手は、サッカー選手としてだけでなく、実業家としても活躍しています。
実業家としての本田選手の年収については、具体的な数字は明らかにされていませんが、数億円程度はあると推測されています。
この推定は以下の要因に基づいています。
- 世界70カ所以上でのサッカースクール・クラブの運営
- 投資ファンド「KSK Angel Fund」の設立と運営
- ウィル・スミス氏との共同VCファンド「Dreamers Fund」の設立
これらの事業活動から得られる収入は、サッカー選手時代の高額な年俸に匹敵する可能性があります。
ワールドカップ解説者としての収入
本田圭佑選手のワールドカップ解説者としての具体的な収入額は公表されていませんが、以下の情報が関連しています。
本田圭佑選手のワールドカップ解説者としての収入は、約1,150万円と推定されています。
テレビ出演料:
- 1回の出演につき約30万円
- ワールドカップ関連で5回出演したと仮定
- 計算:5回 × 30万円 = 150万円
ABEMA出演料:
- ABEMAの高収入者の年収は約1,000万円
- 本田選手の解説は非常に人気があったため、同程度の収入があったと推測
合計:150万円 + 1,000万円 = 1,150万円
この推定は、本田選手が「報道ステーション」や「ABEMAのワールドカップ2022プロジェクト」などの番組に出演したことを基に算出されています。
特にABEMAでの活動が高く評価され、高額の収入につながったと考えられます。
監督としての年収
本田圭佑選手はカンボジア代表のGM(ゼネラルマネージャー)兼監督を務めており、その年収は約400万円程度と推測されています。
- カンボジアのサッカー選手の年収は60万円~480万円の範囲。
- カンボジアの平均年収は25万円。
- カンボジアでは、サッカー選手は比較的高収入
ただし、記事では「情報が入り次第追記します」と述べられているため、この金額は推測であり、正確な数字ではない可能性があります。
カンボジアの経済状況や監督としての役割を考慮して推定された金額であると考えられます。
本田圭佑の年俸・年収を世界の選手と比較
本田圭佑の年俸と世界のサッカー選手と比較した場合
本田選手の収入を他の日本人選手と比べてみましょう。本田選手と同じ頃に活躍した選手たちの給料を見てみると、以下のようになります。
- 香川真司(マンチェスター・ユナイテッド・2012年~2014年) 11億円
- 長谷部誠(フランクフルト・2014年~) 6億円
- 本田圭佑(ACミラン.2013~2016年)5億4000万円
- 岡崎慎司(レスター・シティ・2015年~2019年) 4億5000万円
- 長友佑都(インテルミラノ・2011年~2018年) 4億3000万円
- 吉田麻也(サウサンプトン.2012年~2020年) 3億9000万円
- 川島永嗣(スタンダール・リエージュ.2012~2014年)1億円
香川選手は、イギリスの有名チームに所属していた時期があり、その時の給料は驚くべき金額で、年間11億円にもなっていたそうです。
このことから、本田選手の収入は日本人選手の中でもかなり高い方だったことがわかります。
具体的には、日本人選手の中で3番目に高い給料をもらっていたのです。
これは、本田選手が世界的に認められた実力を持っていたことを示しています。
Jリーグ内での本田圭佑の年俸・年収の比較
本田選手の収入を日本国内の選手と比べてみましょう。多くの人は、本田選手がJリーグの選手より高い給料をもらっていると考えているかもしれません。
実際のところはどうなのか、詳しく見ていきます。
本田選手が海外で活躍していた時期と、同じ頃のJリーグのトップ選手の給料を比較すると、興味深い結果が見えてきます。
- アンドレス・イニエスタ(ヴィッセル神戸)20億
- 大迫勇也(ヴィッセル神戸)3億5000万円
- キャスパーユンカー(名古屋グランパス)2億
- マテウスカストロ(名古屋グランパス)1億8500万円
- セルジ・サンペール(ヴィッセル神戸)1億8000万円
例えば、本田選手がACミランで最も高い給料をもらっていた時期、Jリーグの最高給料は遠藤保仁選手の1億6000万円でした。
本田選手の5億4000万円と比べると、かなりの差があることがわかります。
ただし、近年のJリーグでは外国人選手の年俸が上がっており、状況は変わってきています。
本田圭佑の年俸が高い理由は?
クラブレベルでの成績と年俸
本田選手は、所属チームでの活躍が目立つことで有名です。
得点を重ねたり、味方の得点をアシストしたり、チームの勝利に貢献したりと、彼の活躍が直接給料に反映されているようです。
良い成績を残すことで、チームにとって欠かせない選手だと認められ、その結果として高い給料をもらえるのです。
これまでに415回の試合に出場し、86回も得点を決めています。
本田選手は重要な場面で力を発揮する選手として知られており、このことも高い給料の理由の一つだと考えられます。
スポンサーシップと年俸
本田選手は日本を代表するサッカー選手の一人で、ワールドカップでの解説でも注目を集めました。
靴やウェア、香水など、様々な商品のCMに出演することで、大きな宣伝効果が期待できるのです。
そのため、多くの企業が本田選手とスポンサー契約を結びます。
これにより、本田選手の収入は試合での給料以外にも増えていきます。このような仕組みで、有名選手の収入は年々増加していくのです。
本田選手の場合も、サッカーの実力だけでなく、こうした副収入も含めて高い年収を得ていると考えられます。
まとめ
今回は本田選手の給料について見てきました。
本田選手が最も高い給料をもらったのは、イタリアの有名チームACミランに所属していた時で、年間5億4000万円でした。
さすがに世界的に有名なチームだけあって、とても大きな金額ですね。
本田選手は様々な国のチームで活躍してきました。そして今でも現役の選手として頑張っています。
これからも本田選手の活躍から目が離せません。今後どのような活躍を見せてくれるのか、楽しみに見守っていきましょう。
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